モリとムラが創るサト2

投稿者 まーじなる | ラベル: | Posted On 木曜日, 11月 26, 2009 at 16:49

<画像提供元:http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20091125/210560/5.jpg>


不毛の地を観光地に変えた彼らの視点


近代化があぶりだした「日本人の原郷」を求めて


【宮嶋 康彦 from 日経ビジネス http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20091125/210560/?P=1


 栃木県日光市の奥の院、いわゆる奥日光は、私が28年間通い続けている撮影地である。かつて関東地方に雄飛した修験道の山域は、湖沼や湿原、滝などが凝縮された、さながら箱庭のような空間だ。


 今は景勝地としてつとに名を馳せているが、その風景を発見したのは明治期の外国人だった。しかしながら、関東以北で最も標高の高い白根山を有するなど、 いまだに人を寄せ付けない始原の一面も併せ持っている。いうなれば奥日光は、近代的風景と原日本の風景が、みごとに調和した宇宙なのだ。


続きは元サイトから

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20091125/210560/?P=1

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トマス・グラバー…。

歴史好きな人には、なじみの深い明治維新前後の日本に大変な影響を与えた人物だ。


西洋の価値を日本に輸入し、紹介し、また本人はこの日本の価値というものを大変愛した人でもある。


西洋思想を大きくとらえれば、人間至上主義ともいえる。

それに比べて東洋思想は、自然主義で人間も自然の一部と考える。


日本だけを見た場合、明治維新後日本は西洋列強に肩を並べるために西洋の文化をどんどん吸収していった。

言いかえれば、自然主義から人間至上主義へと価値観を変化させていったことになる。


この奥日光を世間に広めたのは、トマス・グラバーだという。

ここにもこの価値観の変化がよくあらわれている。


それまでの自然主義だった日本人は、自然を畏れ、敬い、それゆえ日本各地には禁足地が生まれ、足を踏み入れてはならない場所が多々あった。また、今でもある。 これはまさに自然主義そのものである。 伝説や、いい伝えを使いより自然を守るためである。日本人が見つけた自然との調和の道である。


そんな価値観を持たない西洋人であるグラバーは、その禁足地に足を踏み入れ、そこに自然美を見つける。

そして別荘を建て、住み、友人達を呼び、友人も別荘を建て、口コミで広がり、広がって現在は景勝地として有名になり、現在でも観光客を呼びその地の人間を潤す。


これは非常に西洋的な発想の成り行きだろう。


この西洋的な発想が行き過ぎれば、土地は開発され、建物が立ち、昔ながらの景観を失う。


その典型的な地が熱海だ。

江戸時代はそれはそれは見事な風情あふれる温泉地だったであろう。

徳川将軍が愛した温泉とか、なにやら過去の恩恵で何とか体裁は保っているが、

今では見る価値もないズタボロにされた景観だと私は思う。




<画像提供元:http://image.mapple.net/img/user/00/00/04/66/H0000046634.jpg>


人間至上主義の行きつく先がバブルである。熱海は高度経済成長の中であらゆる欲を吸いつけそしてそして自然を侵食していく。上記の写真で山まで人間の開発という侵食が広がっているのがおわかりだろうか?どこに自然との調和が見られるだろうか?

自然、日本列島を人間の体としてみれば、この宅地開発が私にはがん細胞に見える。


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モリとムラが創るサト1

投稿者 まーじなる | ラベル: | Posted On 月曜日, 11月 23, 2009 at 0:00


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農業国家である日本は、古くから五穀の収穫を祝う風習があった。 その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の御代に始められたと伝えられている。

一時中断されたが、元禄時代の東山天皇の在位中に復活した。1873年の太陽暦採用以前は旧暦の11月の2回目の卯の日に行われていた。

1873年から1947年までは大祭日となっていた。

戦後は、勤労感謝の日として国民の祝日となった。

新嘗祭自体は伊勢神宮及びそれに連なる神社の祭儀となり、伊勢神宮には天皇の勅使が遣わされて、大御饌(おおみけ:神が召し上がる食事)を供える形式となった。

from wikipedia: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%98%97%E7%A5%AD

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2007年の統計で、日本で農業に従事している人口はおよそ310万人、その内59%が65歳以上である。

現在日本の食料自給率は、およそ40%。この深刻な問題の背景には、農業従事者の高齢化という問題が大きく覆いかぶさっている。
人間の安定を司っているのは、お金ではない、食である。

日本は戦後、経済大国へまい進し、それはバブルという栄華を極めた。
この方向自体は決して間違ってはいなかったと私は考える。

日本人のすべてがその恩恵を授かる事が出来た。
が、しかし。栄枯必衰、栄えるものは必ず、衰える、宇宙の真理である。
そして今日、そこで築いた富をすべて使い切ってしまった跡に、この問題が残った。臭いものに蓋をして、懸念を後回しにしすぎた末に、大問題となってしまった。

そして今現在、日本国民の暮らしの安定が根底から揺さぶられている。
人間の暮らしの安定を支えるのは、食である。
食とは、人類の歴史が始まってからそして滅びるであろうその時まで、生きるための根幹である。
その食に従事する人の割合の高齢化により、数年後には巨大な空洞となって表れてしまう。

この問題の一番の懸念は、対策が遅れ、若者の就業率が上がらないと、技術伝達も次の世代へ行われず、よって農業技術にも巨大な穴があいてしまう恐れがある事だ。

「昔の知恵を今生きる私たちは、活かすべきだ。」これは上図の番組からの言葉です。

そこに現在ある諸問題の、すべての根本的な解決策があるように思う。

金から心へ、商業から農業へ、西洋から東洋へと時代は大きな極移動、ポールシフトへの必要に迫られてきた。

人間には、忘れてはならない自然との掟がある。
その掟を忘れて、無視し続けてきた代償が現在の世の中の不安定さをすべて物語っている。
今日から何回かに分けて、その人間が忘れてはならない自然との掟とは何か?を考えていきたいと思う。


日本は、またはそう呼ばれる以前からこの地は、
太陽神である、天照大神を主祭神とし、万物に神は宿る(八百万の神の思想)と考える神道というものが根付いてきた。
日本土着の信仰をルーツに持ち、様々な価値、解釈の違いを経て今に至るが、その根幹には変わらず自然と個の共棲意識がある。

生態系を生み出すその根源、太陽神、アマテラスが鎮まる土地が日の本つ地、伊勢神宮である。(上部写真は、天照大神の鎮座する内宮前)


森と村が里を創りだす…。日本に古くから根付く思想、または思想すらも生み出す波動、雰囲気。それを、まさに時空を超えて体現し続けているのが伊勢神宮である。
時間を超えて存在し続けてきた伊勢神宮には、現代の日本人がいや、世界人類が思い出さなければならないものがある。それは、時代は変わっても変わらないであり続けてきたもの。

伊勢神宮はまさにその生き証人だ。
日本人ひとりひとりがそれを思い出し、人に伝える事がいま一番求められている。









続く…



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楽観論に浸りきった末の宣言

投稿者 まーじなる | ラベル: | Posted On 土曜日, 11月 21, 2009 at 16:37

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産経ニュースhttp://sankei.jp.msn.com/economy/finance/091120/fnc0911202032026-n1.htm

【デフレ宣言】政府・日銀に溝 ちぐはぐな政策、スパイラルの懸念

 デフレはモノが売れず、値段が下がり、経済がどんどん縮小していく重い病だ。だが、その退治に一体となって取り組むべき政府と日銀の間に溝が横たわっている。政府は金融政策に期待するが、日銀はゼロ金利や量的緩和に踏み込むことに及び腰だ。政府もマニフェスト(政権公約)に掲げる「家計支援」を優先し自ら需要を創造するデフレ対策は後回しで、政策運営の“ちぐはぐ”感はぬぐえない。このままでは物価下落と景気悪化が連鎖的に進行する「デフレスパイラル」に陥りかねない。

 「政策的な協調による金融面の支援を期待する。出口戦略は少し早い」

 菅直人副総理は20日の会見で、日銀にメッセージを発信。藤井裕久財務相も「大変な危機意識をもっている」とあおった。

 市場では政府のデフレ宣言について、「日銀への“圧力”と“牽制(けんせい)”が狙い」(大手証券)との見方がもっぱらだ。

 それを見越してか、日銀の危機意識は薄い。日銀の白川方明(まさあき)総裁は同日の会見で、「日銀が示してきた見方と同じ」と述べたが、景気判断で物価下落は、前年の原油高騰の反動と冷静に見ている。

 デフレ対策についても、市場に大量の資金を供給する量的緩和策について、「物価を押し上げる力はない」(白川総裁)と、そっけない。それどころか、前回会合では、金融危機対応で実施している企業の社債などを買い取る異例の措置を年内で解除することを決め、正常化を急ぐ。

  一方の政府も日銀に頼るばかりで、デフレ対策への腰は重い。平成21年度第2次補正予算に基づく追加対策を急いでいるが、財政支出は2・7兆円にとどまる 見通しだ。編成作業中の平成22年度予算は概算要求で過去最大の95兆円に達しているが、子ども手当などの目玉政策の財源を捻出(ねんしゆつ)しようと、 行政刷新会議の「事業仕分け」での削り込みに精を出している。

 物価の下落はモノの供給が需要を上回ることで起きる。その差である需給ギャップは4~6月期で40兆円に上る。デフレ阻止には、政府自身が財政支出で需要を作り出したり、民間の需要を促しギャップを埋める政策が欠かせない。

 しかし、鳩山政権が重視する家計支援の場合、「家計の支出が増えるまでにタイムラグがあるうえ、貯蓄に回り、支出が増えなければ効果は減殺される」(民間エコノミスト)。

 経済協力開発機構(OECD)のアンヘル・グリア事務総長は「デフレと闘え」と日本を叱咤(しった)する。手をこまねいていると手遅れになりかねない。

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アメリカの凋落ぶりだけが、目立っていた昨今。
最近のFTなどを見ていても、実は大変なのは日本だ!との意見が目立つ。

実は、一番危ないのは日本なのだ。

不景気という言葉を私が小学校5年くらいの時に初めて祖母の口から聞いた。
1990年になるかならないかの時だと思う。

それ以来、周りの人々の口から「景気が良い」との言葉を私は聞いたことがない。

という事は、20年以上もの間庶民の感覚では、日本はずっと不景気なのだ。

これほど長い間、楽観論に終始し、庶民にだまし続けてきた自民党、大蔵省、財務省の罪は計り知れないほど大きい。

よっていかなる言葉を使って、いかなる施策を財務省が発表しようとも、
私は信じないし、それが有効とは全く思わない。

不信。
この20年の日本の状況は、この一言で片が付く。

日本におけるすべての不景気の根本は、ここに行きつくのではないか?



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国家戦略局は現状に左右されてはならない。

投稿者 まーじなる | ラベル: | Posted On at 0:54

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2次補正規模は1次見直し分2.7兆円が軸=菅担当相

 [東京 20日 ロイター] 菅直人副総理兼国家戦略担当相は20日夕、2009年度第2次補正予算の規模について「第1次補正予算の見直しで生まれた財源を前倒しで充てる」と述べ、1次補正見直しで捻出した2.7兆円を基本的な財源とする考えをあらためて表明した。

 経済対策検討チームの会合終了後に記者団に語った。

 2次補正を巡っては、亀井静香郵政・金融担当相らが上限を設けずに議論すべきと規模拡大を主張していたが、菅担当相は「上限は設けていないが、1次補正を凍結した流れで考える」と指摘。さらに、「足もとの景気・雇用の厳しさをわかった上で対応すると同時に財政全体を考えないと長期金利の高騰などの制約が出てくる」と財政規律を重視して2次補正を編成する考えを示した。
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う~~ん。。。
なかなか国家戦略局が機能しないね。

軸が定まってないような気がする。
日本の一番の欠点は先が見れないこと。

国家戦略とは、未来にたって物事を判断しなければそれは国家戦略とは言わないし、
そうならいらない。

国家戦略が予算なんて気にしてどーする?
国家戦略とは、それこそ国の政官財庶、老若男女あわせたオールスターを最小人数で構成し、
国家の未来図を壮大に議論しなければ。

簡単に言うけど本質はそうであるべきだと思う。

それが景気対策だの、補正予算だの口に出したら、まとまるわけない。
頭(トップ)がいくつもあるんだから。

皆が、不景気だ、予算だ、節約だ、無駄遣いだ言ってたら
国家に夢や希望もありゃしない。

そんなことだから、事業仕分けではスパコン予算も切り詰められてしまう・・・。



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ウイイレ2010日本版ソフトパワーの可能性

投稿者 まーじなる | | Posted On 水曜日, 11月 11, 2009 at 15:29


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小沢革命~その1~

投稿者 まーじなる | ラベル: | Posted On 水曜日, 11月 04, 2009 at 23:48

小沢革命が粛々と進行している。

現在の日本の政権は、民主党にある。
政権とはまさしく、政(まつりごと)を主導する権利を有すると言う事である。

その権利を有するのが、昨夏政権交代を成しえた「民主党」である。
この政権交代で起こった、戦後60年以上にもわたる、自民党政権での膿み、悪しき連鎖を、
断ち切って、新たに日本の現在、未来の行方を左右する抜本的な改革を今、
民主党は小沢一郎を元に進め始めているのが現状といった所だろう。

小沢、そしてその右腕、鳩山は、党の仕事である「政務」と「党務」を切り分けた。
これが意味するところは何か?

党というのは、軍団である。
政権という「天下」を握るための勢力だ。
その軍団を“一つ”にまとめ上げ、あらゆる政策を執行するための支持母体となるのが、
党、そしてそのための仕事をするのが「党務」である。

政務とは、民主党という軍団の政策を執行していく役をするのが「政務」である。

民主党という軍団にあって、政務とはその一部分でしかない。
それ以外はすべて党務なのだ。

私が、言いたいことは、
この改革によって、民主党は「幹事長」にその権力を集中させたということである。
2重権力などではない。
いわゆる「民主党幹事長」というのが、時の「征夷大将軍」と同じという事。
ここに尽きる。

それがいいのか悪いのか、良し悪しは別として、
これによって、庶民は権力がどこにあるのかはっきりと分かるようになる。

今までの自民党政権で、果たして最高権力を持つものが、自民党総裁だったであろうか?
または、内閣総理大臣だったであろうか?
否である。

その所在は、カーテンで遮られ、自民党にあるのか?または?日本にあるのか?それとも?
ベールに包まれたままであった。

それを証明するのが、評判が悪ければ頭を次々と変えるだけ変えて、
やることは何も変わらず、国民の政治への信頼を徹底的に貶めた「自民党政権」である。

政策が悪ければ、総理大臣を変えればいい、
しかしその任命過程、任命責任をうやもやにして、本来は政権などとっくに失っていたはずの政党を、自堕落にその命を延命させてきたのが、自民党だ。

そしてその陰であらゆる悪事を働いてきたのが、官僚である。

この日本特有の、「臭いものにはふたをしろ」的な、システムを
臭いものごと取り払う改革を民主党には期待したい。

小沢一郎は、
政務以外の仕事、権力をことごとく「民主党幹事長」に集中させようとしている。

これは正しいと私は思う。

政策の実行が悪ければ、総理を変えればいい。
総理任命権は、一般庶民にはないのだ。
国会にある。即ち、「党」だ。

「党」というのは、有権者が選んだ兵隊が徒党を組む「軍団」。
政権運営が悪ければ、批判はたちどころに「民主党幹事長」=「民主党」に矛先は向く。
ここが分かりやすくなれば、庶民には政局が分かりやすくなる。
つまるところ、国民が「幹事長」を変えればいい。政権交代を起こせばいいということになる。

今までの政治は「どうせ変わらない。」という空虚感を国民に覚えさせ、
それで自民党を延命させてしまった。
今度は、その責任の所在がどこにあるのか、はっきりと分かりやすくなった。


「小沢の独裁だ!」とやたら叫ぶ人たちがいるが、それは間違いだ。

副島隆彦氏が自身のHPで語ったとおり、

~~~~~~~~~引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

それもこれも、今の急激な日本国民の 「自民党自滅、官僚徹底たたきのめし、
メディアへの強い不信感」の状況は、すべて、小沢一郎が作ってきたものだ。
強いて言えば、小沢一郎が、たったひとりで、この15年間の苦闘の中で作りあげてきたものだ。すべての栄誉は、小沢一郎にある。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なのだと思う。
「健全な2大政党制」を掲げ、自民党に最初に反旗を翻したのが小沢だ。
「政権交代」を最初に声高に叫んだのは、小沢だ。

昨年の参議院選挙に勝利し、この度の衆議院での選挙でも勝利が出来たのは、
小沢の実力である。

そのほとんどの息吹が小沢から発せられたのであって、
その流れは、当然小沢の下にあっていい。
その所在を「民主党幹事長」に集中させてもなんら問題はない。
至極当然のような感さえ持つ。

それを「独裁」と呼ぶには、あまりにも早計で、子供じみたひねくれとしか言いようがない。

ほんとに「独裁」にしたくなければ、ほかの野党の議員たちがどれだけ泥にまみれ、
目の前の誘惑に振り回されることなく、自らの政治理念を押し通すことが出来るか。

言い換えれば、どれだけの若手議員が小沢一郎が潜り抜けてきた修羅場を乗り越えられるのか?
ここに尽きる。

独裁になるのか、ならないのかの批判の矛先は野党に向くべきである。
それでこそ、野党は活性化する。
それをやらないで、ピーチクパーチク目先のことだけに叫んでいるだけでは、どうにもならない。

本当に小沢がいやなら、
「小沢独裁反対党」とか「小沢憎し党」でも作ってまとまってみればいい。

私は、この雑多な政治思想でごった返す、現在の政局のなかで、
現時点でそれが一番の対立野党の「対立軸」になると思う。
その方が変な「政治理念」を掲げるよりもよっぽど庶民に分かりやすい。

政治とは今も昔も変わりなく、
「権力闘争」である。
きれいごとじゃなく、泥にまみれてでも権力を掌握できる強い者に、
一般庶民は従うべき事を本能的に知っている。


私はまだ当分のあいだ、
この民主党の改革が本気なのか、国民のためなのか注視し、その上でその他野党には叱咤激励していきたい。







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